「優しい風」 自らの精神宇宙を表現
手元に光一郎からの手紙がある。日付は平成6年の11月8日。郡山開成学園での芸術鑑賞座「若松光一郎の世界」の終了を知らせる内容で、リーフレットが同封されていた。そこには、3点組の「大地の歌」など大作を中心に29点を展示したことが記されており、「2年後の池田20世紀美術館の発表を控えてますので、その前哨戦みたいな形になりました。ご一報をかねて」とある。池田20世紀での個展への決意がにじみ出ている文面だと思った。
池田20世紀美術館(静岡県伊東市)は、自分の道を独自に切り開いている現存作家の企画展を開くことで知られている。展示替えも3カ月に1回とゆったりしており、光一郎は以前から館のポリシーが気に入っていた。そんな中、牧野喜義前館長(故人)から「うちでやってみませんか」と、打診を受けたのだった。6年前のことだ。
光一郎はその5年前に市立美術館で「半世紀の歩み」展を開いており、自分なりの表現に一つの区切りをつけて、さらに画面が自由になっていた。そうした時に、全国レベルのお気に入りの美術館からの個展の誘いに胸がときめいた。画業の集大成的な意味を込めて自分のすべてを発表したい - そんな思いが心の奥底からわき上がってくるのを感じた。
「若松光一郎の世界展」には抽象と具象を合わせて60点が展示された。すっかり黄ばんでしまったが、その人柄までもしのばせる自画像デッサン、自然を超え宇宙の響きを流麗に奏でる黒地のシリーズ、暖色系の鮮やかな色彩 のハーモニー、そして人の死や自然をテーマにした岩肌を思わせる「碑」の作品群…。その一つひとつが光一郎の精神宇宙を表しており、見る例の心を開き、温かい交信を繰り返すのだった。
自らが代表作と言っていた「大地の歌」は、メーン壁画ともいえる、たたきのコンクリートに架けられていた。自然光が作品を照らし、3枚の絵画が響き合って壮大な自然賛歌をうたい上げている。「光一郎に見せてやりたかった」。大作の前に立ち尽くしながら、改めてその思いを強くした。「決して誇示しないが印象に残る。その作品は若松先生そのものですね」とは林紀一郎現館長(65)。確かに、その展示空間は清潔感が漂い、優しい風が吹いていた。