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「未完の絵」 ライバルを待ち続け…




 高杉和久(47)には、忘れられない思い出がある。夏の暑い日のことだ。新制作協会展に出品する大作5点を光一郎に見てもらうため、小名浜のアトリエで緊張して待っていた。入ってきた彼は、絵をチラッと見たかと思うと、コンクリートの床をジツと見つめ、「きれいだねぇ」とつぶやいた。粗い床面 にさまざまな色の油絵の具がしたたり落ち、何ともいえない模様を浮かび上がらせていた。高杉はその年、落選した。
 こんなこともあった。スポーツウェアを着てテニスへ行こうとした高杉を呼び止めた。そして真剣な顔をして、こう言った。「テニスをやめなさい」。光一郎にとって高杉は特別 な存在だったのだろう。「いわきに根を張って本物の領域まで突き抜けてほしい。それにはガムシヤラになって絵と向き合わなければならないんだ」。そんな思いが珍しく態度や言葉になって出たのだった。
 「とにかく絵をどんどん見なさい。そして大作を描けるだけ描き続けなさい。若いうちは冒険しなさい」。それが彼の教えだった。理屈じゃない。感性を磨いて体に染み込ませるんだ。そうすれば、どこが良くてどこが悪いかがわかる―。その信念は、良質の展覧会開催や美術館建設へと発展していった。
 光一郎が亡くなったあと、アトリエには黄色に地塗りされた150号のキャンバスニ枚とコラージユの素材が置かれてあった。それは「大地の歌」と対の3枚組にする予定だったが、真ん中の作品だけが完成(新制作展に出品)し、残りは未完のままになつてしまつた。高杉は紀志子の許しを得て、それを自分のアトリエに運んだ。
 光一郎は、いわきで制作を続けながら「絵かきとはどういうものか」ということを、身を持って示した。そして自分の刺激になる、世代を超えたライバルが、1日でも早く出てくることを楽しみにしていた。しかし、あえて困難な山登りをして自らを極めようとする人材は、現れなかった。ほとんどの人が「ここはいわきなんですよ。東京じゃないんです」と妥協し、上を見ようとしなかった。それが何より寂しく、悲しかった。
 高杉は光一郎のアトリエに入るたびに、その精神の高きと豊かさをひしひしと感じる、という。彼が常日ごろ何を言おうとしていたのか…。その言葉にならない言葉を思うたびに、後悔が全身を包んだ。「もう一度初心に戻ってチャレンジしなくは」。高杉にとって、それが一番の恩返しといえた。

| 鳥の歌の響き | 22:17 | comments(0) | - |
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