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「葬送」 ガザルスに自分重ねる





 若松光一郎が亡くなった翌日(平成7年11月8日)の午前11時すぎだったと思う。平字旧城跡の若松家に向かっていた。どうしても遺族に伝えなければならないことがあったからだ。あの、優しく穏やかなまなざしを思い浮かべながら歩いていたら、さまざまなシーンが脳裏によみがえってきた。
 亡くなる1年ほど前だろうか。知人の告別式に出席したあとのようだった。「また1人…」の思いが強かったのだろう。自分の死と重ね合わせてこう言った。「花輪とか供物とか読経とか。どうも自分のセンスに合わない。自分が逝く時にはカザルスの『鳥の歌』で送ってほしいね」。哲学者のような目で遠くを見つめ、ポツンとつぶやいたのだった。
 「鳥の歌」はスペインのカタロニア地方の民謡で、チェロ奏者のパプロ・カザルスが好んで弾いた曲。フランコ軍事政権と一線を画したカザルスは祖国を出て反戦を訴え続けた。その象徴ともいえるのが「鳥の歌」で、自らが生まれたカタロニアへの思い、平和への願いが込められている。カザルスのチェロには思想のようなものがあり、聴く側の心に染みわたるのだ。
 若松家に着くなり、堰を切ったように妻の紀志子(80)にそのエピソードを伝えると、彼女はこう言った。「そうなの。できる限りあの人が喜ぶように送ってあげましょうね」。ともに支え、支えられてきたパートナーらしく、その言葉には気丈さが満ちあふれていた。
 11月12日。光一郎は自らの願い通り、会場いっぱいに流れる「烏の歌」に送られて天に召された。花輪も供物も全くないシンプルな告別 式。壇上には純白の大きなパネルが取りつけられ、遺影と遺骨と作品、さらに画家活動のベースにしてきた新制作協会の旗と生花のアレンジメントがあるだけだった。
 被爆体験を持ちながらも決して多くを語らなかった光一郎。「鳥の歌」の響きこそが社会や2000人もの参列者へのメッセージだったのかもしれない。享年81歳。池田20世紀美術館での展覧会を4ヵ月後に控えての死だった。

| 鳥の歌の響き | 21:48 | comments(0) | - |
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