<< 「風化」 廃船からイメージ得る | main | 「帰郷」 いわきに根張り生きる >>

「ヒロシマ」 キャンバスに思い刻印





 「こじつけたくない」。光一郎はよく、そう言った。見る側が絵を見て音楽が聞こえる、と感じるのもいい。戦争の愚かさ、人の世の無常を訴えている、と解釈するのもいい。しかし作者は多弁になってはいけない。ただ提示すればいいのだ。光一郎の沈黙には、そうした意味も含まれていたように思う。
 光一郎は昭和20年8月6日、広島で被爆した。1年前に召集され、当時は広島湾に浮かぶ小島・宇品(爆心地から5キロ)にいた。その瞬間、ピカッと空が光り、窓ガラスが割れた。その光はまるで、マグネシウムのフラッシュのせん光のようだった。次から次へと運び込まれる焼けただれた被爆者。だれもが「水をくれ」と叫んでいる。兵舎内は死を待つ人で埋まり、遺体は広場で焼かれた。さらに1週間後、被災地の後片付けに駆り出され、焦土と化した広島を目の当たりにする。がれきと死体。さらに、それを焼く異臭。その光景はまさに地獄のようだったのだろう。のちに、「景色はどこも灰色で、人まで灰色に見えた」と振り返っている。
 30歳の時に体験した惨劇。その2度と思い出したくない現実は、彼の心の中にどのような形で刻印されたのだろうか。被爆体験について尋ねられると「当時の光景がよみがえってくるので話したくない」と口をつぐみ、ひたすら沈黙を守った。しかし、肉体的には原爆後遺症の恐怖と闘い続けなければならず、あのいまわしい記憶は、一生彼にまとわりついて離れなかった。
 「碑H」という作品がある。昭和59年に制作された。こげ茶をベースにした濃密なマチエール(画肌)が特徴的で、「H」はHlROSHIMA(ヒロシマ)の頭文字。同じ年に「碑N」「北の碑」、さらに「鎮魂の碑・T氏の霊に棒ぐ」といった作品が続々と生まれている。しかも、その画題は光一郎には珍しく意図的に思える。
 「碑H」が描かれる4年前、紀志子と広島を訪ねた光一郎は、町が一望できる場所にたたずみ、すっかり変わってしまった景色を眺めた。その時、胸に去来したものは何だったのだろうか。心の奥底に塗り込めていた記憶を少しずつ呼び起こし、風化しないようにキャンバスに焼き付ける。それが、一連の「碑シリーズ」だったような気がする。

| 鳥の歌の響き | 21:53 | comments(0) | - |
Comment










04
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
--
>>
<<
--