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「リアリズム」 暗い部分にばかり目が




 「僕たちが新しいリアリズムを求めて常磐炭田を訪れるきっかけとなったのは、君の静かな一言でした」 - 光一郎の告別 式で弔辞に立った彫刻家の佐藤忠良(83)は60年余にもわたる交流をかみしめるように、声を抑えてその人柄や思い出を語った。忠良が「これほどよく来る町はない」というほど、いわきとのかかわりが深くなったのは光一郎がいたからだった。忠良たちが提唱した「新しいリアリズム」とは、画面 構成や色彩など視覚的に絵を描くのではなく、その場で働く人たちの生活そのもの、喜怒哀楽を画面 に表現していくことが重要だ、という考え方。それをかたちにする一つの手掛かりとして、炭鉱や漁村があるいわきがモチーフに選ばれた。昭和31年1月のことだ。
 スケッチに訪れたのは、忠良をはじめ朝倉摂、竹谷富士雄、中谷泰、息居敏文など、仕事のジャンルや所属団体を超えた8人。光一郎と新夫が案内役を務め、日夜、スケッチと芸術談義に明け暮れた。光一郎は、といえば目を細めながら彼らの話にジッと耳を傾けていることが多かった。
 傾斜した丘に並んでいるハモニカ長屋。たそがれ時になると、各家庭で一斉に食事の用意が始まる。その煉が亀裂のある灰色のズリ山にたなびき、何とも美しい情景を醸し出した。メンバーたちは、そうしたのどかな風景の中から、人々の喜びや悲しみをどうとらえ、自分なりにどう表現するかを模索したのだった。
 「石炭をはこぶ女」という作品がある。光一郎特有の輝くような色彩 は抑えられ、画面は重く沈んでいる。女たちの顔は黒く塗りつぶされ、表情さえも見えない。同じく、その年の新制作協会展に出品した「小田炭砿A」も「小田炭砿B」も底辺を感じさせる暗い色調になっている。
 「炭鉱の町に生まれ、現在もそこに住んでいながら、炭鉱の生活を肌で感じることが、ほとんどといっていいほど、なかった」。光一郎の心の中には、そうした思いが渦巻いていた。恵まれた家庭の中で、ほぼ希望通 りの人生を歩んできた自分。炭鉱の人たちの生活を見つめれば見つめるほど、暗い部分にばかり目がいった。
 結局、光一郎が持っている体質と新しいリアリズムの考え方は肌が合わなかった。しかし、持ち前の好奇心が新たな刺激を生み、次のステップへの橋渡しをした。彼は決して後ずさりすることはなかった。常に前だけを見据え、表現を切り開いていく精神を持った画家といえた。

| 鳥の歌の響き | 22:00 | comments(0) | - |
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