<< 「リアリズム」 暗い部分にばかり目が | main | 「抽象への助走」 キャンバスに色彩躍動 >>

「新制作」 モダニズムの風受ける




 平成7年9月に体調を崩して入院した時、光一郎は紀志子に「新制作の会員名簿を持って来てくれ」と言った。昭和31年に会員に推挙されて以来、必ず審査に参加し、協会展を見続けてきたというのに、それができない。寂しかったのだろう。せめて名簿を見ながら、尊敬し思い入れのある作家の作品を想像するしかなかった。
 光一郎が所属した新制作協会」は、昭和11年に生まれた。洋画家9人が美術界の政治的抗争に嫌気をさし、「芸術運動の純粋化」を唱えて旗揚げしたのだ。既成のアカデミズムを批判していただけに、その画風はいずれも独特の新鮮さにあふれていた。彼らは権威主義的な傾向が強かった画壇に、モダニズムの風を吹き込ませたのだった。
 光一郎は当時、美校の4年生。11月に開かれた第1回展を見て、佐藤敬と脇田和の作品に強くひかれる。体制に反抗し新しい美術界をつくるために行動を起こした創立会員の“九人の侍”光一郎は、その勇気と表現の自由さにあこがれた。自身も第二回展から出品し連続入選を果 たしていくのだが、その畏敬の念は終生変わることがなかった。
 「若松光一郎の世界展」でのオープニングセレモニーには、佐藤忠良をはじめ、難波田龍起、佐藤ぬ いなど新制作協会のメンバーが多数駆けつけた。そこには“巨匠”などといった世間一般 の評価とは全く関係のない、自らの作品を追求し続ける人間たちがいた。自分が納得した作品を制作することを優先し、さまざまなことに耐えてきたからだろうか。どの頼も一本筋が通 っており、頑固そうに見えた。
 「集団というのは長い時間がたつと、どうしても“お家の事情”ができて、なまぬ るくなる。それでも辞めずにいるのは、腐りかけているものの中で頑張っている者に踏ん張らせなくては、という私なりの抵抗精神です」。この忠良の言葉は、現在の新制作協会の苦悩ぶりを表していた。
 光一郎の遺作「COSMO GIALLO」(黄色い宇宙)は、昨秋の協会展でいつものように第1室に飾られた。黄色をベースに古代布の群青、薄墨の黒で分割された明快な画面 。そして鮮やかな赤が躍動している。忠良にして、「力強く、とても死を前にした作家の手になるものとは見えなかった」と言わせたその作品には、新しい表現に向かおうとする希望のようなものがあった。それこそ彼の“新制作魂”だった。

| 鳥の歌の響き | 22:01 | comments(0) | - |
Comment










08
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
--
>>
<<
--